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画像参照元 神津島総合情報サイト「神津にいくばぁ
 
東京竹芝桟橋からジェット船で2時間、伊豆七島の一つであり日本最西端の有人島でもある東京都神津島。マリンスポーツやハイキングなどアウトドアで人気が急上昇中の島です。現在は空前の離島ブーム。メディアで幾度も紹介されているので、人気はさらに上がっていくでしょう。
 
実は神津島、もう一つ見所があります。それは神々が集まる島としての片鱗が現れたところ。神話を描いた彫像や、生活に根付いた小さな祠、由緒ある霊験あらたかな神社など、ご利益が期待できるパワー満タンなスポットがたくさんあるのです。
 
今回は、神々が棲む島「神津島」にある「神と霊魂を感じることが出来る神聖な場所」を、ストリートビューを使って巡ってみようと思います。派手な場所ではありません。しかし、どの場所も歴史と先人の想いを感じることできる興味深い所です。神津島に遊びに行くときの参考にしてください。
 

港を降りれば神話の世界|水配りの神話像

神津島は、かつて「神集島」という漢字があてられていました。それは伊豆七島の神々がこの島に集まり会議をしたという神話が基になっています。事代主命(大国主命の息子)と他の神々が伊豆七島を作った時に、命の源である「水」をどの様に分けていくかを伊豆七島の神々が集まり話し合ったのです。
 
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港を降りて美浜海岸へ向かって歩くと、すぐに「水配りの像」があります。ちなみにストリートビューの一番奥側、岩の上に鳥居があるのがわかるでしょうか。ここには龍神様が祀られているのです。ここ以外にも神津島の各所に竜神様が祀られています。龍神様は水の神様。神津島では、いかに水が大事にされてきたかの証と言えますね。
 
また神津島では良質の黒曜石が産出されたことから、旧石器時代後期から縄文時代までこの島と本土を船が行き来していたのではないかと考えられています。港の龍神様は、船旅の無事を祈る海神様としても祀られていたのかもしれません。
 
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閑話休題。水配りの神話の話に戻りましょう。神様たちの話し合いの結果、翌朝早く神津島に到着した順番で水を分けていくことになりました。水を分配するのは神津島の神様の役割。一番早く神津島に来たのが御蔵島の神様で、次いで新島・八丈島・三宅島・大島の順で到着。一番最初に到着した御蔵島は、たっぷり水を分けてもらえたため、水源に恵まれた島になったようです。
 
ところで伊豆「七島」ですから、一島足りないですよね?実は利島の神様は、寝坊してしまい大幅に遅刻してしまいました。神津島に到着したときには、既に水はほとんど残っていない状態。怒った利島の神様が、残ったわずかな水に飛び込み大暴れしたため、水は四方八方に飛び散ります。その水が神津島の湧き水になったそうです。
 
水配りの像は、このエピソードを再現しています。塔の天辺にいるのは神津島の神様。ストリートビューを動かしてみると、並んでいる神様、5人しかいませんよね。そうです、遅刻した利島の神様は描かれていないんです。後世になっても遅刻の罰を受けるなんて・・・皆さんは時間を守るように心がけて下さい。
 

島の守り神が鎮座する|物忌奈命神社

物忌奈命神社は、伊豆七島を造り治めていた事代主命と阿波咩命の間に生まれた長男「物忌奈命(モノイミナノミコト)」が鎮座する神社です。物忌奈命は神津島の鎮守(守り神)としてこの地に鎮座したと伝えられています。物忌奈命に関しての記録は少なく、詳しいことは解っていません。ただ続日本後紀の中に、「阿波咩命は三島大社(現在の三嶋大社祭神=事代主命)の本后である」と記されていることから、この神社は大変重要視されていたことが分かります。
 
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祭神が鎮座する本殿までは、長い階段を上っていく必要があります。国津神の神社だからでしょうか。どこか出雲神社に似た雰囲気を感じませんか?
 
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国津神が祀られる神社特有の、簡素で慎ましやかな装い。筆者はこの空気が大好きです。天津神の神社もイイですが、国津神の神社の魅力はそれ以上かと。毎年8月1日と2日に、この境内で「かつお釣り神事」が行われます。これは国から重要無形民俗文化財として指定されている神事です。機会があればぜひ見に行って下さい。
 
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ここは物忌奈命神社から約5キロメートル北上したところにある「阿波命神社(あわのみことじんじゃ)」。物忌奈命のお母さん「阿波咩命(アワノメノミコト)」が祀られています。物忌奈命神社に比べると少し物静かな印象を受ける神社。物忌奈命神社と併せて参拝したい神社です。
 

サザンも唄った悲劇のキリシタン ”ジュリアおたあ”の十字架

最後に紹介する場所は「日本の神様」に関わる所ではありません。しかし神の教えを守り、この島に流され果てた「ジュリアおあた」という女性キリシタンの墓があります。「ジュリアおあた」は、戦乱で自害した朝鮮人の娘であるとか李氏朝鮮の両班の娘とも言われていますが、詳しい出生はよくわかっていません。
 
ジュリアおたあは、文禄の役で保護され朝鮮から連れて帰られた後、キリシタン大名の小西行長に引き渡され、そのまま育てられました。行長の夫人から熱心な教育を受け、小西家の家業である「薬草」について深い知識を得たようです。しかし不幸にも、関ヶ原の戦いで敗北した行長は捕縛・斬首されることになり、小西家は没落してまうのです。
 
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小西家は没落してしまいましたが、家康はジュリアの優れた才能を見抜き侍女として大奥に召し抱えました。家康から寵愛を受けたジュリアでしたが、家康からキリシタンの棄教を拒否、正式な側室になることも受け入れなかったために数回の流罪を受け、最終的には神津島に流されることになってしまいます。神津島に流されてしまったジュリアですが、その後もキリシタンの教えを守り、島にいる病人の介護や自暴自棄になった流人の心の支えになってあげたりと、献身的な生活を過ごしたようです。
 
家康からは数回に渡り棄教と側室としての恭順を求められますが、最後まで断り続け、この地で命を落としました。ジュリアの最期については諸説あるため、はっきりしたことは解っていません。ただ、神津島にある由来不明の供養塔がジュリアの墓ではないかという説が出てからは、この地がジュリアの最期の地であると考えられるようになり、島では毎年「ジュリア祭」が行われるようになりました。
 
余談ですが、サザンオールスターズの「夢に消えたジュリア」という楽曲の内容が、ジュリアの伝説に非常に似ていると評判になったそうです。桑田佳祐は、この曲を作詞している途中で偶然「ジュリアおたあ伝説」を知り、非常に驚いたということを多くの雑誌のインタビューで話しています。
教えに殉じた気高き女性を偲び、ジュリアに想いを馳せながら祈りを捧げて下さい。
 

まとめ

どうでしたか。神津島で参拝・礼拝に行くべき聖なる場所のことが解ったと思います。礼拝・参拝だからと言って、暗い旅にする必要はありません。無事にレジャーが出来ていることに、ちょっとだけ感謝しながら聖地を訪ねてみて下さい。神津島の自然と聖地のパワースポットに癒されるような、素敵な旅になることを祈っております。

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