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 日本の自動車メーカーの中でも本田技研工業(ホンダ)はモーター・スポーツに熱心に取り組んでいます。特に自動車レースの最高峰であるフォーミュラ1(F1)には積極的です。ホンダが初めてF1に参戦したのは1964年。その後、幾度かの中断をはさんで、現在はマクラーレンと組んでF1に参戦しています。

 

 ホンダによると、F1の機材開発に取り組んだ技術者は、排ガス規制や燃費などの問題を解決するときに大きな役割を果たしたと言います。自動車レースの最高峰という、一般社会からは遠く感じる場所で培った技術をしっかりと市販車の開発に活かしてきたということですね。

 

 今回はホンダがF1のために開発してきた機材を見返しながら、その挑戦の軌跡を振り返ってみましょう。

入口には初勝利をもたらした車が

 ホンダのF1機材を見られる場所は、栃木県芳賀郡茂木町にある「ツインリンクもてぎ」の敷地内に建っている「ホンダコレクションホール」です。グーグルがホンダコレクションホール内の様子をストリートビューで捉えています。展示している機材を1台1台見て回ることも可能になっています。

 

 

 ホンダコレクションホールのストリートビューを開くと、展示スペースは3階建てになっていることが分かります。1階にはエントランスとグッズ売り場があり、2階にはホンダが発売してきた2輪車と4輪車の実車が展示してあります。F1機材を見られるのは3階です。早速入っていきましょう。

 
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 展示スペースに入って、すぐのところに古いレースカーが展示してあります。この車はホンダにF1初勝利をもたらした「RA272」です。ホンダは1964年、F1に初参戦を果たしましたが、初年度は勝利を挙げることができませんでした。参戦2年目の1965年にホンダが投入したのがこのRA272です。RA272は1965年の10月24日、第10戦となるメキシコGPでついに優勝を飾りました。ホンダにとっては記念すべき1台と言えるでしょう。

 

 RA272の奥を見ると、ホンダが初めてF1に参戦した1960年代の機材が3台並んでいます。

 
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 左から「RA273」「RA300」「RA301」です。RA273はRA272の後継に当たる機材です。優勝を遂げることができませんでしたが、1967年の初戦である南アフリカGPで3位に入賞するなど、ライバルと激しく競り合った車です。

 

 RA300は、1967年の第9戦イタリアGPからホンダが投入した車です。それまでエンジンも車体もホンダが独自に開発していましたが、この車では、車体の開発にローラ社の協力を得ることになりました。そしてRA300は初戦となるイタリアGPでいきなり優勝を飾りました。これはホンダにとってF1通算2勝目となります。

 

 RA301はホンダが1968年に投入した車です。RA300を改良したモデルですが、勝利を挙げることはできませんでした。そしてホンダは、1969年でF1への参戦を中断します。これは、当時の排ガス問題などに対応した自動車を開発するために、F1という世界最高の舞台で研究開発に取り組んだ技術者の力が必要になったためだそうです。

ホンダの名を世界に轟かせた第2期

 ホンダが初めてのF1への挑戦を中断した1969年から15年後となる1983年に、ホンダは再びF1の舞台に戻ってきます。ホンダはF1参戦の第1期では、自社で車体もエンジンも開発していましたが、2回目の参戦ではエンジン供給のみに集中することを決めています。

 

 ホンダ不在だった15年の間に、F1の機材は長足の進歩を遂げ、車体もエンジンもまるで別物になっていました。そのような状況で車体を自社開発しても、その技術を市販車に活かす道がないと判断してのことです。そして、エンジンだけを供給していた第2期にホンダのF1活動は黄金期を迎えます。

 
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 上のストリートビューに写っているのは、第2期に活躍した機材です。右側が第2期初の機材となった「スピリット ホンダ 201C」です。1983年の第9戦、イギリスGPでデビューしました。

 

 中央は第2期の2年目となる1984年にデビューした「ウイリアムズ ホンダ FW09」です。この年の第9戦、アメリカGPで優勝を果たし、ホンダにとってF1第2期の初勝利を挙げた車になりました。

 

 左側はホンダにとってのF1黄金時代の幕開けとなった「ウイリアムズ ホンダ FW11B」です。ウイリアムズ・チームは1987年の年間チャンピオン・チームに輝き、ウイリアムズに所属するネルソン・ピケは、ドライバーズ・チャンピオンの座につきました。

歴史に残る名ドライバーが駆った車

 ウイリアムズの2台のさらに左側を見ると、第2期の中でも最もホンダが強かった頃の車が見えます。

 
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 右側の黄色い車は「ロータス ホンダ 99T」。日本人にとってなじみ深い車です。1987年、日本人初のF1ドライバーとなった中嶋悟が、この車に乗ってF1デビューを飾りました。中島は勝利を挙げることはできませんでしたが、6位入賞を果たすなど、日本人初のF1ドライバーとして確かな足跡を残しました。

 

 左側の紅白の車は「マクラーレン ホンダ MP4/7」。あのアイルトン・セナが1992年に乗った車です。セナはこの車で1992年のF1を戦い、第6戦もモナコGPなど3勝を挙げましたが、チャンピオンの座には手が届きませんでした。そして、ホンダはこの年を持って第2期のF1活動を終了させます。

第3期は車体開発やチーム運営にも取り組む

 ホンダにとってのF1第3期は2000年に始まりました。参戦2年目のB・A・Rと協力体制を築き、エンジンを供給するだけでなく、車体の共同開発にも乗り出しました。B・A・Rとの協力体制は2005年まで続き、健闘はしましたがついに優勝を遂げることはできませんでした。そして2005年末にホンダはB・A・Rを買い取り、2006年からはホンダ1社体制でF1に参戦します。

 
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 上に示したストリートビューには、第3期に活躍した車が写っています。左から「B・A・R Honda 007」「Honda RA106」「Honda RA108」です。B・A・R Honda 007は、B・A・Rと協力体制が最後の年となった2005年の車です。この年はジェンソン・バトンと佐藤琢磨がこの車に乗り、最高で3位の成績を残しましたが、前述の通り優勝することはできませんでした。

 

 Honda RA106は、「Honda Racing F1 Team」の1年目である2006年に走った車です。この年、第13戦のハンガリーGPで優勝を果たしました。1992年以来、14年ぶりの優勝です。そして、Honda RA108はHonda Racing F1 Teamが2008年に投入した車です。この年をもって、ホンダはF1への3回目の挑戦を終了させます。

第4期を2回めの黄金期とすることはできるか

 ホンダは2015年から、マクラーレンと組んで4回目となるF1への挑戦を始めました。現在のところ、エンジンの力不足でなかなか勝てず苦しんでいるようです。ホンダは第2期、第3期でも参戦当初に苦しみました。ホンダがF1から離れている間に、F1の技術レベルが大きく上がり、再度の参戦ではそのレベルに追い付くために苦しんだのです。第4期の2年目となる2016年がホンダにとって良い年になることを願って、この記事を終わりにしたいと思います。

 
【施設情報】
店舗名 ・・・ホンダコレクションホール
住所  ・・・〒321-3597 栃木県芳賀郡茂木町桧山120-1
電話番号・・・0285-64-0341
開館時間・・・10:00~16:00(土日祝日は9:30~17:00)

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