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武蔵野三大湧水池として知られている石神井公園。特に三宝寺池は武蔵野台地の地下水が豊富に湧き出ることで作り出されたため、古来から重要視されてきました。その証にこの公園にある石神井城跡、これは豊島氏という武将が居城としてた城です。三宝寺池と石神井川という天然の堀に守られた難攻不落の城であったと伝えれられいます。
 
その石神井城が落城するときに、一つの悲しい出来事が起こりました。それが豊島氏最後の当主、豊島泰経とその娘・照姫に纏わる「照姫伝説」。今回は豊島氏滅亡と照姫伝説の秘密を紐解きながら、ストリートビューでゆかりの地を巡ってみましょう。
 

難攻不落の石神井城

石神井城が築城された時期ははっきりしていませんが、一般的には室町中期頃である考えられています。石神井川流域で勢力を伸ばし、石神井川の開発に力を入れていた「豊島氏」の居城として作られました。北には生活水源でもある三宝寺池、東と南は石神井川が流れ、さらに台地とは300メートルの大濠で断ち切られていたため、簡単に攻め入ることは出来ません。
 
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三宝寺池の南側。ここに石神井城がありました。城跡の研究が進み、人工の防御は西側だけであったことが判明。これは三宝寺池・石神井川がある北・南・東方面からの侵入は物理的に不可能ということです。ここからも難攻不落の城であったことが窺い知れます。
 
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石神井公園のすぐ横にある「氷川神社」。素戔嗚尊を主神に祀ったこの神社は、石神井郷の総鎮守として豊島氏とよって創建されました。ちなみにこの神社、石神井城内に作られています。
 
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画像参照元 都内散歩 散歩と写真
 
三宝寺池の名前の由来にもなっている「三宝寺」も、当時は石神井城内、三宝寺池のすぐ側にありました。必要なものは全て城内にそろっていると考えられますね。写真は有名な平和大観音。かつて城内になった寺は、豊島氏を滅ぼした太田道灌がこの地に移したそうです。
 
石神井公園をぐるっと歩くと解りますが、この地域一帯は水源にも恵まれ、動植物がたくさん棲むことができる自然に恵まれた地域です。籠城にも便利なはず。この難攻不落の石神井城であれば、戦では負け知らずの大田道灌であっても攻め落とすことは困難。では何故石神井城は落城してしまったのでしょうか。
 

江古田原の戦い

1476年、長尾景春が関東管領である上杉氏に対し挙兵すると、上杉家に敵対している豊島氏は呼応するように挙兵、扇谷上杉家河越城と大田道灌の江戸城を繋ぐ江戸河越通路を分断します。しかしそこは負け知らずの道灌。練馬城に矢を放ち、城の周囲には火をつけ城を攻め落とそうするのです。ピンチになった練馬城を助けに石神井城から出兵した豊島泰経を大田道灌が迎え撃つ、これが江古田原の戦いです。
 
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江古田原古戦場跡の石碑が残る「江古田公園」。ここが泰経と道灌が激突した地。合戦は激しいものとなり、練馬城主豊島泰明(泰経の弟)も戦死してしまいます。多くの兵を失った泰経は、石神井城まで逃げ帰ることになってしまうのです。
 
最初から道灌は江古田原で泰経を迎え撃ち、豊島氏の兵力を削ぐことを考えていました。その証拠に道灌は江古田原に伏兵を潜ませ、挑発行為を行い豊島方を平場である江古田原に誘い出したという記録があるのです。
難攻不落の石神井城は、大田道灌の策略によって兵力を削がれてしまい、滅亡の道へ進んでいくことになります。
 

照姫伝説と三宝寺池

石神井城に逃げ込んだ泰経は道灌と会見し、一度は和平が結ばれます。しかし条件であった城の明け渡しを泰経が行わなかったため、道灌は偽りの降伏・和平と判断。総攻撃を受けた石神井城は、豊島方の兵力の不足もあり持ちこたえることが出来ません。
 
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落城を覚悟した泰経は、豊島家の家宝「金の乗鞍」を白馬に置き、この馬で崖に登ります。そして道灌の兵の目の前で馬と共に崖を飛び降り、三宝寺池に身を投げ命を絶ちました。
父の死を悲しんだ照姫は、父の後を追い三宝寺池に身を投じ命を落とします。その非業な死を悼んだ道灌は、照姫の亡骸を弔うために塚を築きました。この塚はいつの日からか「姫塚」と呼ばれ、そばに立つ老松を登ると三宝寺池に輝く金の乗鞍を見ることが出来るのです・・・と、これが照姫伝説の概要。
 
しかし照姫伝説、明治時代の作家「遅塚麗水」の「照日の松」という小説が基になったという説が有力的です。遅塚麗水がどの程度取材し、どの程度創作を織り込んだかは定かではありません。しかし泰経は石神井城落城の後も生き残っていることは史料にも残っています。泰経は死んでないのですから、照姫が三宝寺池に身を投げる必要はないはず。
 
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画像参照元 Strange Photograph
 
小説「照日の松」は新聞で連載され評判を呼びます。そこに出てくる照日姫が照姫すりかわり、伝説化したのではないでしょうか。
しかし、照姫を祀った「姫塚」写真のように実在しています。写真の猫が照姫の生まれ変わりかどうかはわかりませんが、照姫のものと思われる心霊現象は古くから言い伝えられているよう。
 
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画像参照元 平蔵の日記
 
三宝池には菖蒲やカキツバタなどの美しい花が咲き乱れ、春には桜・秋には紅葉で色付き、輝く水面に写り込んだ木々や空の景観が美しく、神秘的なオーラを放っています。この輝きや美しさが「金の乗鞍」の基になっているのかもしれませんね。そう考えると照姫伝説も、違った目線で見ることが出来そう。照姫は皆の心の中にいるということです。
 

まとめ

ストリートビューで紐解く「石神井公園物語」。豊島氏の滅亡と照姫伝説の秘密を解ってもらえたでしょうか。東京都内に限らず、日本全国には意外と知られていない「伝説」がたくさんあります。その地に纏わる伝説を知ることは、その土地の文化・歴史を知ることです。今後も日本全国に潜む「隠れた伝説の魅力」にストリートビューで迫っていくので、楽しみにしていて下さい。

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