皆さん「役小角(えんのおづぬ/おづの)」という人物を知っていますか。634年に生まれ701年に没したと言われる呪術者のことです。歴史的に言うと、大化の改新が起こり、律令政治が段々と整備され始めた、まだまだ国家がよちよち歩きを始めた時代。役小角は実在の人物ですが、人物像は伝説化しているものが多く、実際の姿はよくわかっていません。そのミステリアスな魅力から、多くの小説・映画・ゲームなどの題材にもなり、江戸時代の名著「南総里見八犬伝」にも登場してきます。
今回は、絶大な超能力を持ち日本各地に伝承を残している「役小角」ゆかりの地を、ストリートビューで巡ってみましょう。役小角が活躍した飛鳥時代は、時の支配者の脚色が強い文献が多く、史実がはっきりしていないことが多々あります。今回ココで書いたことも、後に覆されたり再び認められたりすることもあると思いますが、当時の人達に想いを巡らせる機会になれば幸いです。
最初に修行し才能を開花させた地|元興寺(現在の飛鳥寺)
時は飛鳥時代、舒明天皇6年(634年)。日本では蘇我馬子の死後も蘇我氏が隆盛を極め、中国は数年前に隋から唐に代わり、使者に応え「遣唐使」が送られようとする頃、役小角はこの世に生を受けます。幼い日の逸話はあまり耳にしませんが、17歳のころに元興寺、今の飛鳥寺で修行をしたと伝えられています。
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飛鳥寺は出来た当初「法興寺」と呼ばれ、その後「元興寺」「飛鳥寺」と名を変えています。蘇我馬子が建立した、日本最古の伽藍配置の仏教寺院です。このお寺は、大化の改新の主役、中大兄皇子と中臣鎌足が初めて出会った場所でもあります。役小角はこの地で孔雀明王の呪法を体得し、他の地への山岳修行へ入りました。
飛鳥寺
電話:0744-54-2126
住所:奈良県高市郡明日香村大字飛鳥682
公式HP
山岳苦行の後に開いた修験道の総本山|金峯山寺
修験道とは、日本古来の山岳信仰に神道・仏教・道教などを習合し、独自の進化を遂げた宗教です。厳しい修行を自らに課することによって煩悩克服の境地に達する「自力本願」を目的にしています。役小角は苦行の末「金剛蔵王大権現」を示現、感得しました。その後、吉野山に蔵王大権現を本尊とする「金峯山寺」を開山、修験道の誕生と相成ります。
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蔵王権現は中国から伝わってきた仏教の中には登場しない、日本オリジナルの神様。仏教においての「釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩」、神道においての「大国主・国之常立神・日本武尊・少彦名命・金山彦神」が習合した姿と言われています。男神ばかりなのが修験道らしいと感じませんか?ここで独自の「悟り」を開いた役小角は、「優れた呪術を使う男がいる」と都中の評判になり、時の権力者達からも注目を集めることになるのです。
金峯山寺
電話:奈良県吉野郡吉野町吉野山2498
住所:0746-32-8371
公式HP
役小角伝説に関わる藤原鎌足が眠る|談山神社
ここから先の役小角は、まさに超人のごとき大活躍ばかり。前鬼・後鬼と呼ばれる「鬼神」を操る法力があるとか、諸国の神々を動員して葛木山と金峯山に橋を掛けようとしたとか。はっきり言って眉唾なものばかりですね。しかし役小角は続日本紀にも登場する人物。皇族ではないのに「公式」な歴史書に登場する以上、やはりなんらかの「力」を持っていたと考えられるのではないでしょうか。
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その「眉唾な伝説」に関わる人物が中臣鎌足。役小角が20代の頃、中臣鎌足の病気を治癒させたという伝説があります。談山神社のシンボル「十三重の塔」は、鎌足の息子である藤原定慧と不比等によって建立。鎌足が臨終する前日、天智天皇は日本国政に尽くした鎌足に大織冠という冠位と共に「藤原姓」を授けます。平安時代に天皇をも凌ぐほどの栄華を誇る藤原氏が、ここに始まったのです。
談山神社
電話:0744-49-0001
住所:奈良県桜井市多武峰319
公式HP
伊豆大島に流罪になったけど飛翔して修行した?! 江ノ島岩屋洞窟
強すぎる力・高すぎる評判を持つものは、不当に妬まれてしまうもの。それは今の時代も千年以上昔も変わりません。「呪術で人々の心を惑わしている」と告げ口をされた役小角は、陥れられ伊豆大島(伊豆長岡とも言われています)に流されることになりました。しかし伊豆に流された後も、驚くことに飛行術(!)を使って島を抜け出し、各地で修行していたと伝えられているのです。
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かつて弘法大師も修行していた江ノ島の岩屋洞窟。役小角もこの地へ来たとき洞窟からパワーを感じ、ここで修験道の霊場を開きました。時は700年。翌年の701年の1月に大赦され故郷の茅原に戻りますが、同じ年の6月に亡くなります。死後も役小角の伝説は広がり続け、室町時代には詳細な伝記が数多く刊行されることになりました。
江ノ島岩屋
電話:0466-24-4141
住所:神奈川県藤沢市江の島2
公式HP
人は死して名を遺す 小角は死して菩薩となる|高尾山 神変堂
役小角の伝承は、自身の死後も修験道と共に広く伝えられていきます。そして時は過ぎ、小角没後1100年を迎える1799年、光格天皇は役小角に「神変大菩薩の詔」を授け、以後小角は神変様として祀られることになるのです。ちなみにこの詔の15年後、馬琴の「南総里見八犬伝」が刊行され始めます。作中では、伏姫が自害する際、役行者(役小角)から授かった「仁義八行」の数珠が霊玉となり飛び散ることで物語が動き出すわけですから、馬琴は「神変大菩薩の詔」をヒントに、この壮大な物語を思いついたのかもしれません。
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修験道は全国の山岳に広がり、神変大菩薩も各地で祀られるようになりました。真言密教の祈願寺として開山した高尾山薬王院は、南北朝時代に中興の祖と呼ばれる「俊源大徳」が飯縄権現を感得。守護神として祀られるようになり、修験道の霊山として繁栄していきます。守護神は違いますが、神変大菩薩(役小角)は修験道の祖。敬意をもってこの場に祀っているのです。
高尾山薬王院
電話:042-661-1115
住所:東京都八王子市高尾町2177
公式HP
まとめ
どうでしたか。役小角ゆかりの地のことが解ったでしょうか。今回はかなりマニアックな内容になりましたが、修験道は日本発祥の伝統ある信仰です。もちろん信仰は自由、無理に参拝する必要はありません。でも役小角は、日本霊異記や南総里見八犬伝に描かれた「SFヒーロー」の元祖。その軌跡を辿ってみることは面白いと思います。機会があれば、是非行ってみてください。
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