NHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」の影響で、ウイスキーを飲むようになった方は多いのではないかと思います。マッサンのモデルである竹鶴政孝氏は、本場スコットランドに留学してウイスキーづくりを学び、帰国してから日本で初めてのウイスキーを作るために尽力します。
その後長い月日が経ち、現在ではジャパニーズ・ウイスキーは世界的な品評会で高い評価を受けるまでになりました。今回は「サントリーウイスキー博物館」のストリートビューを通して、ジャパニーズ・ウイスキーの歴史をたどってみたいと思います。
森の中の蒸留所
サントリーウイスキー博物館は、サントリーの白州蒸留所(山梨県北杜市)の中に建っています。
地図をご覧いただければお分かりいただけるかと思いますが、白州蒸留所は森の奥深くに立地しています。最寄り駅はJR中央本線の小淵沢駅ですが、歩いて行くにはかなり厳しい場所です。
そこでサントリーは、小淵沢駅から送迎バスを運行しています。このバスを利用すれば駅から15分ほどでサントリーウイスキー博物館がある白州蒸留所に到着します。
すべては甘口ワインから始まった
正面から入って見学順路をたどっていきます。最初に見えるのは、サントリーの前身である「寿屋」を創業した鳥井信治郎氏の写真と、寿屋が「赤玉ポートワイン」で大ヒットを飛ばしたことを示す展示です。ちなみに、ポートワインとは、ポルトガル北部原産の甘口ワインですが、赤玉ポートワインは寿屋が独自に作った甘口ワイン。製法は異なるものであったようです。現在は「赤玉スイートワイン」に名称を変えて販売しています。
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「ウイスキー博物館」なのに、最初の展示が甘口ワインになっているのはなぜかと思う方は多いでしょう。日本でウイスキーを作りたいと考えていた鳥井信治郎氏にとって、大きな悩みはウイスキー製造施設を整えるために必要な巨額投資でした。その悩みを吹き飛ばしたのが赤玉ポートワインの大ヒットだったのです。巨額の利益を手にした鳥井氏は、本格的なウイスキーづくりに向かって進み始めます。
ウイスキーづくりに取り掛かった鳥井氏は、蒸留所を建設する場所を検討し始めます。いろいろ研究し探しまわった結果、大阪府東部の「山崎」の地に蒸留所を建造することを決めます。
この日本初のウイスキー蒸留所の初代所長には、スコットランド留学から帰国していた竹鶴政孝氏を迎えています。ちなみに、現在もこの蒸留所は「山崎蒸留所」として活発に稼働しております。展示コースには初めて建てる蒸留所の見取り図や、建造時の写真があります。
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初めての国産ウイスキー「白札」
展示コースを先に進むと、ショーケースの中に入った、1本のウイスキー・ボトルが見えてきます。このボトルは、山崎の地に建設した蒸留所から初めて出荷した、つまり日本産ウイスキー第1号となる「サントリーウイスキー白札」のものです。1929年のことでした。
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しかしこの「白札」に対する市場の評価は厳しく、ピート(ウイスキー製造の過程で使う泥炭)の匂いが強すぎて飲みにくいと不評を買ってしまいます。当時は鳥井氏も竹鶴氏もウイスキー製造法に確固たる自信を持っていたわけではなく、試行錯誤を繰り返していたところでした。
「角瓶」で手応えをつかむ
鳥井氏が初めて自信をつかみ、その成果を製品としたものが1937年発売の「サントリーウイスキー角瓶」です。「角瓶」は日本人の舌に合ったものに仕上がっており、大ヒットとなりました。1940年には「サントリーオールド」も誕生します(ただし、第二次世界大戦の影響で発売は10年後の1950年となります)。オールド発売当時は日本の高度経済成長期が始まったところで、角瓶と同じくよく売れました。
この時に誕生した角瓶とオールドは、現在でも販売が続いているロングセラーとなっています。この2製品がジャパニーズ・ウイスキーの基礎を作ったと言えるのかもしれません。
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1950年代には洋酒ブームがやってきました。そのブームに合わせるように登場したのが当時としては廉価なウイスキー「トリス」でした。気軽にウイスキーを楽しめる「トリスバー」が日本各地に出現したこともあり、日本におけるウイスキー人気は確固たるものになっていきます。
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世界に羽ばたくジャパニーズ・ウイスキー
こうして、ウイスキーは大衆にも手に届く飲み物になりました。そこでサントリーは新製品として高級ブレンドウイスキーを次々と発売していきます。しかし、まだ世界的な評価を得るには至りません。
1984年、後にサントリーの名を世界に知らしめることとなる製品が登場します。シングルモルトウイスキー「山崎」です。山崎は、世界的なウイスキー品評会で最高の評価を得るなど、世界的なウイスキーとなりました。1989年に発売になったブレンドウイスキー「響」や、1994年発売のシングルモルトウイスキー「白州」も世界的な銘酒に成長していきました。
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ジャパニーズ・ウイスキーを飲みたくなりませんか
現在、バーに行くと山崎、白州、響がメニューに並んでいますが、その値段を見ると本場スコットランドのウイスキーと変わりません。さらに高い値段が付いていることもあります。鳥井信治郎氏や竹鶴政孝氏の時代から90年ほどで、ジャパニーズ・ウイスキーは世界に誇る銘酒になったということでしょう。
こうして日本にウイスキーが定着し、良い酒を作れるようになったという歴史に触れると、次にウイスキーを飲むときはジャパニーズ・ウイスキーにしようと思うのは筆者だけでしょうか? 先人の努力に感謝しながら、気持ちよく酔わせていただこうと思います。
【施設情報】
店舗名 ・・・サントリーウイスキー博物館
住所 ・・・〒408-0316 山梨県北杜市白州町鳥原2913-1
電話番号・・・0551-35-2211
営業時間・・・9:30~16:30
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